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2010年4月

ありがとうございました (卒業のご挨拶)

「目指せ!きらきら高齢出産」卒業のご挨拶です。

これまで応援してくださった皆様、そしてとても親身になってアドバイスをくださった方々、赤待ちの苦労をともにがんばってきた方々、妊娠中の不安や期待のドキドキを一緒に味わって励まし合ってきた方々、本当にありがとうございました。皆さまの心温まるお言葉とお気持ちのおかげで、現在の幸せな時間があると思います。ブログ上の交流のためご恩返しも難しいのが心苦しいですが、最後の記事で感謝の気持ちお伝えさせてください。ありがとうございました。

出口の見えない不安で諦めかけたこともありますし、辛く苦しいこともありましたが、今育児をスタートさせて思うのは、「諦めなくてよかった」 です。 今現在、赤ちゃん待ちでがんばっている皆さん、事情は人それぞれですが、どうか諦めないで欲しいです。 妊娠中で不安を抱えているみなさま、我が子との対面は言葉では表現できない喜びがあります。どうか貴重なマタニティ期間を楽しんでお過ごしください。 念願の子育てをスタートした皆さま、これからも大変なことはたくさんあると思いますが、お互いに気楽にがんばっていきましょう!

また、他人に悪態を吐くこと、他人を貶めるような発言をすることでしか自分の気持ちを発散できないかわいそうな人もいました。その方が、他人を妬んだりやっかんだりせずにご自身の幸せをちゃんと感じられるときが訪れることを切に願います。

「目指せ!きらきら高齢出産!」は「不妊」から始まって「出産」をゴールにとはじめたブログです。ありがたいことに、今の私は「不妊」でもないし「妊婦」でもなく、かけがえのない我が子にメロメロになっている一人の母親となりました。諦め挫折してリタイアという形ではなく、無事出産という「完全卒業」ができたことを心から喜び、この記事を「修了証書」とさせていただきます。


今後、新しいブログを始めるかどうはまだ決めていません。はじめることになりましたら今まで交流のあったブロ友さんには何らかの形(ブログ訪問やメッセージ送信などで)お知らせさせていただきます。もしご連絡を希望の方がいらっしゃったらコメント欄デご連絡先(ブログURL・メールアドレスなど)をお知らせください。※「親展」とお書きください。公開しません。ブログをお持ちのブロ友さんのところにはこちらから訪問させていただきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

また、「おっぱい」などのキーワードのため迷惑コメントが急増しています。そのためスパム対策機能を強化していますが、その際は私(ブログ主)に通知なくコメントが削除されてしまいます。しばらくしてもお返事がない場合は再度お知らせください。

最後に。

赤ちゃん待ちをしている全ての人たちに、赤ちゃんが授かりますように。そして無事に我が子との対面が果たせますように! 




多くの仲間と出会い、支えられてきました。ありがとうございました!
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コメントのお返事をしました!

大変遅くなりましたが、皆さまから頂いたコメントにお返事をしました。ありがとうございました!皆さまからのコメントを読んで、これまでのことを振り返り、また涙してしまいました。

出産レポ、齢40にしてそろそろ記憶力も落ちてきますので、覚えているうちにできるだけ記録をと思って書きましたので長文&乱文になってしまいました(^_^;) 読みづらかったと思いますが最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

次回、最後のご挨拶記事をUPしてこの「目指せ!きらきら高齢出産」は区切りとする予定です。



今までありがとうございました。次回最終回です。
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出産レポ 後記

出産レポ1~6 で書ききれなかった分の雑記です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

3月2日 午前1時21分 2806g 男児誕生
自然分娩  分娩時間 7時間25分。

※入院してからは2時間21分ですが、陣痛開始を病院に最初に電話をかけた6時ころと考えてこの時間が記録されています。 ホントはもっと長いような気もするし、もっと短くてもいいような気もするけど、ま、いっか。

****

スピード出産のためか、出血量が普通よりも多くて、635ml。 (400ml以上は「多い」扱いになるらしい) さらにこれまたスピード出産のためか子宮収縮もなかなか始まらずゆっくりだったらしい。

今回の分娩は、担当してくれた助産師さん(この病院の看護師は全員助産師さんなのだ!) が、とってもほめ上手だったため、ワタシも調子にのってとても上手にお産ができました。

助産師さんは「きらきらさんは、初めてとは思えないくらいとても上手でした!」とほめてくれた。「口では“痛いです!” “無理です!” って言いながら、呼吸法も姿勢もこちらが『こうしてください』と言った通りのことをやってくれてました。あの冷静さには驚きです!」 だって。 いえいえ、Hさん、あなたが「あと2~3時間」「あと5回」と、私に希望を持たせてくれたからこそ、頑張れたんです。今回の安産はあなたのおかげです。本当にありがとうございました。 ※会陰切開や麻酔は医師の担当ですが、ハナマルを取り上げてくれたのは助産師さんです。

そうそう、後の処理が終わった後、分娩台の上で、助産師さんに「もう名前は決まってますか?」と聞かれて「はい、ハナマルです!」 「そう、ハナマルくんって言うのね!」 と 言ったら、ハナマルが「アイッ!」 と返事をしました。 タダの偶然ですが、その場いいた全員が顔を見合わせて、「今、返事したよね?」 とびっくり。  とても素敵な思い出です。 

*****

入院中のこと

ワタシが最初に「母乳で!」と何も考えずに言ってしまったために、ミルクが与えられずハナマル君の体重は1割減。 かわいそうに、3日目から看護師さん判断でミルクがどんどん与えられるようになりました(^_^;)

初日は、夫がすべてやってくれました。すべてとは…
出生届などもろもろの手続きです。 すでに産まれる前から名前は決めていたので、3月2日の昼間に手続きをやれる分を全部済ませました。 私自身が役所に出しに行きたい気持ちもあったのですが、分娩の感動をワタシが一人占めしたのですから、そのほかのことは夫にやらせてあげようと。 初抱っこも、出生届に初めてハナマルの名前を記入するのも。役所に出しに行くのも。

平日だったから、面会時間が終わったらそのまま大阪に帰っていった夫。別れ際にまた、泣けるセリフを言いました。

「きらきらはいいよね~」 「なにが「いいよね」?」 「だってこれからずっとハナマルと二人きりの時間を満喫できるんだからさ。一人占めじゃん。」

母子同室の病室で、私が声をかけてもハナマルの顔から眼をそらさずにいた夫。 「テレビないと入院中寂しいかと思ったけど…、要らないんじゃない?」 だってさ。 確かにテレビなんて見ている暇はなかった。

病院食は・・・ まあ、可もなく不可もなく。お祝い膳では鯛の尾頭付きが出ました! でも余り食欲がなくて。体がむくんで顔がアンパンマンのように膨れ、足なんかくるぶしが埋没してしまいました(^_^;)  最後の夜に看護師さんにマッサージしてもらっちゃった。幸せでした。

会陰切開… うーん、切った感覚はあったけど、後の縫うのがとんでもなく痛かった。 出血が多かったので中の方も縫った。医師が無言で縫うので、何をされているのか分からずとにかく痛い! 陣痛の方が波のサイクルが予測できるだけ耐えられたけど、麻酔をしてもらって縫ってるはずなのに、痛すぎ! 

母の来訪…3日目に母が来た。 退院してからでいいよ、と言っていたのに、体調も悪いのに、いきなり病室のカーテン越しに名前を呼ぶ声が! 母だった。「来たよ」だって。 一人で、田舎から在来線や新幹線を乗り継ぎ病院までやってきた! 「よく一人で来られたね」というと、「だって、あんたのほうこそ…えらいね、よく一人でがんばったね(涙)」 だって。 その夜、散らかり放題の私の部屋で母は一泊し、そして次の日に帰って行った(祖母の介護や、自分の体調のこともあったので、本当は日帰りのつもりだったらしい)

母乳指導…なかなか母乳をうまく飲んでくれなくて。母子同室なのに、新生児室に入り浸りで看護師さんに指導してもらっていました。なんだか、入院というより、おっぱい合宿のような6日間でした。

*****

退院のこと 3月7日(日)

週末ということで前日の土曜日義理の両親が東京見物も兼ねてきてくれた。夫も土曜日の朝イチで。すでにおっぱい合宿の疲れで憔悴している私。 翌日には退院して自分たちだけで頑張らないといけないかと思うと不安。 退院の日は日曜日。 ハナマルと夫と私の3人で退院。 タクシーで帰る。 タクシーの中で涙があふれてきて止まらなくなった。 感極まった状態の私は全く気付かなかったけれど、夫が後で行っていたがこのときのタクシーの運転手さんはとても優しく運転してくれたらしい。振動がほとんどなくカーブでも揺れが最小限だったそうな。

家について、まずしたのは、部屋の片づけ。

産後の肥立ち? 三週間は床上げナシ? そんなどころじゃない。 ハナマル君の居場所を作り、陣痛に耐えててのたうちまわっていた?惨状を片付けるところから始めた。 入院中に部屋に入った夫と母が汚れものだけは片付けておいてくれたので助かったけど。 お昼過ぎに自宅についてから、ゆっくりと横になったのはもう日が暮れてからのことだった。 録画していた「ぐるナイ ゴチバトル」を見ながら 夫が近所のお惣菜屋さんで買ってきたメンチカツと肉団子を一口ずつ食べた。

翌、3月8日(月)

結婚記念日。 夫の両親が帰るまえにハナマルを見に来るので必死に部屋を片付ける。半日はほとんど座る暇もなかったけれど、義両親がいてくれる間に、役所にいって、夫と二人で水天宮にお参りに行った。

この一週間前、陣痛が始まって、妊婦健診を受けにいったな~。そのときに一人で水天宮に安産祈願をしたな~、と、とても遠い過去を振り返るように感慨にふける。 今は、ハナマルも誕生し、夫と二人で水天宮にお礼参りしている。 境内ではずっと涙があふれて止まらなかった。

義両親が羽田に向かい、そのあと、ハナマルと夫とワタシと、親子三人水入らずの結婚記念日、そして「お七夜」をやった。 出生届は産まれた日に届けてすでに命名をしたけど、名前を書いた色紙を飾り、デパ地下で買ってきてもらったちょっと豪華なお惣菜をテーブルに並べ、三人で祝った。

本当は次の日の仕事のために、この日のうちに大阪に帰るはずだった夫に、つい「お願い明日の始発で帰って」と珍しい甘えを口にしてしまった私。夫が「きらきらがそんなこと言うなんて!」 と驚いて、笑いながら翌日のフレックスを上司に申請してくれた。 

ネプリーグを見ながら、「先週の今頃は、一人で陣痛でたえていたな~」 「まだうまれてなかったんだよね~」と、いろいろと振り返った。

これで、出産レポは終了です。 長文読んでいただいてありがとうございました。

もう、産まれてからひと月がたちました。そろそろこのブログもフィナーレです。
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